カウリスマキの都市と渋谷《2》

《2》イメージ都市

ソ連の映画監督アンドレイ・タルコフスキーは「映画的イメージは文学的思考の推移と絵画的造形の組み合わせから得られるのではない」と言った。
観察を重視する巨匠の思考、それはカウリスマキ作品の考察に役立つ。
際立った作家性と青みがかった美しい映像はカウリスマキ作品のキーワードである。彼の作品は、逆説的ではあるが見かけの調和という総合芸術としての映画、ではない映画を見事に表現しているように思える。
そして、それらは観察に結びつきそうなものであるが、彼の都市描写はまた違ったアプローチを体現している。

カウリスマキは都市を描く。『コントラクト・キラー』においてもそれは変わらない。
意外であるのは、この作品の舞台、そして撮影場所がロンドンであるということである。
カウリスマキといえば北欧・東欧が舞台、というイメージが一般的ではないだろうか。少なくとも、彼の作品を数本観たことのある人はそう感じるはずである。

『コントラクト・キラー』において描かれるロンドンは、霞んでいてどこか哀愁を漂わせる。成熟した都市ではなく、熟し切り、陰りと綻びが忍び寄っている。だが、なぜかこれからの発展、成長を思わせる不思議なものとなっている。
それは北欧東欧、つまりフィンランドのイメージだ。
このような疑問を人々は抱き、それはやがて批判となった。

※上北沢のあるマンションから。新宿のビル群。

カウリスマキはそれに答えて、

「私のロンドンはフィンランドみたいだと文句を言う人がいる。だが、フィンランドがこういう風に見えるのは、僕の映画だけだ。僕が撮影したものは、全て後で整える。地ならしローラーが僕の後をついて来るんだよ。」

「キャメラがロンドンにあった。だからロンドンの跡が見える。ロンドンは東欧かもしれない。でもそれは僕の問題じゃあない」
などと話している。

カウリスマキの言い訳のようにも聞こえるが、多くの批判を受けた(しかもイギリス人たちから)というのはその特異さの象徴だ。

イギリス衰退論が起こったのは1960年代の暮れだったらしい(川北稔『イギリス近代史講義』に詳しい)。『コントラクト・キラー』の公開年は1990年。いつまでも続く衰退論の肯否に関わらず、イギリスは一応依然として世界政治経済の中心近辺にはいたように思えるが、パクスブリタニカはいつぞやのこと、はるかな追憶、イギリス人たちは矜持と現実の間を彷徨っていた。
その彼らの微妙な心象をカウリスマキが逆撫でてしまった可能性は存分にありうる。

『コントラクト・キラー』におけるフィンランド化されたロンドンをなぜカウリスマキは創出したのか。

畢竟、これは彼なりの都市論なのではないだろうか。
彼の作品には社会的底辺者、貧者が多く登場する。主人公はいつもだいたいそうである。「貧は悪徳ならず」はドストエフスキー『罪と罰』冒頭に登場するロシアの諺であるが、それがカウリスマキ作品を貫く真理に思える(奇しくも彼の処女作はこの古典的名著をベースにしている)。
社会的底辺者、弱者は都市にいるからこそのそれである。都市と彼らは密接な関係にある。カウリスマキは描きたかった貧者のためのイメージとしてのロンドンを創造したのではないだろうか。フィンランド化された、カウリスマキオリジナルのロンドン。

それはかれの作品に欠かせない撮影監督であるティモ・サルミネンのイメージにもよる。
建設途中のビル群、廃屋に囲まれたバー、草莽にまみれた共同墓地…。

※二子玉川、河川敷。

ジャン・ピエール・レオ扮するアンリがマンションの屋上で育てていたゼラニウム。祖国に見捨てられた孤独な事務員が住む、イメージ上のロンドンに存在する植木鉢はどこか象徴的だ。

※神保町、ある大学より。

 

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