都市、動いている庭、生態学

”放棄された土地は〈放浪する〉植物が好む土地であり、モデルなしでデッサンを描くための新しいページである。そこでは新しいことが起こるかもしれないし、エキゾティシズムも生まれそうだ。”1)ジル・クレマン (2015)『動いている庭』みすず書房 p6.

例えば東京のような都市を歩いていると、思いがけない植生に出会うことがある。

コンクリートブロックの割れ目から顔を出す羊歯植物や、ビルの壁面に根を張るキヅタ。空缶、空瓶、雨に濡れてふやけた雑誌、割れたCD、何かの端切れ、それら廃物の中からすっと伸びるニワシロユリ。

世間から切り離され、散乱し、浮遊している。それでいて名状しがたい実在感、生の迫力がある。

目に入った螺旋階段を上ってみると、立ち並ぶ高層ビル群の中でひときわ背の低いビルがギャップ2)災害や寿命など、何らかの理由により高木層が欠落した空間。生物の生育環境を大きく変え、次世代の個体が移入し利用できる生息場所を生み出す。のように佇んでいる。異質性のあるこの空間でも、植物が鉢から溢れ市民権を得ている。

植生遷移3)裸地への苔植物や草本植物などの侵入や定着、草地から低木林への移行、あるいは低木林から高木種が優占する森林への移行など、ある一定の場所で見られる植生の移り変わり。の更新過程におけるギャップダイナミクス4)森林が、部分的に壊れては遷移することを繰り返し、全体としては極相の状態を維持することとの類似性が現れている。

生態学では、生活環5)前の世代がつくる生殖細胞から出発して次の世代の生殖細胞までを結んだ生活史のサイクル。が回転し、世代を超えた存続が行われている状態を”生活”していると定義される。したがって、公園や街路で見かけられる植栽は”生活”しているとは見なされない。植え込まれたその場の環境6)生態学においては、その生物を取り巻く外界の諸事情(栄養源の獲得、生理的活性、住み場所の確保、生殖の成功、外敵からの防御など)をひとまとめにしたもの。がそれをさせない。

その意味では、何の思惑や脈絡もなく社会の狭間に存在し続ける彼らこそ、本質的に”生きて”いるとは言えまいか。

秩序だって整備された並木、敷地の境界線に沿って刈り込まれた生垣、揺るぎない構想に基づいた伝統的庭園。制御された形は征服を意味する。

人間はひとたび土地を手にすると、手放すことをしない。それが敗北を意味するかのように。人為的な力が読み取れなくなると、不安になる。

鮮明で明るく、筋の通ったものは安心で、残った部分には正体の知れない不穏が溢れている……。

しかし、薄暗い路地裏で、人間の監視を逃れた場所で、植物たちの密やかな領地の奪還が進んでいる。都市という不定形の庭で、都市という不定形の庭師の手によって。

”いかなる形にも定められない存在として用意された庭。それがどんな見かけになるのか、想像するのは難しい。庭こそ形によって判断されるべきではない。むしろ存在することのある種の幸福、それを翻訳することができるかどうかで判断されるべきだろう。”7)ジル・クレマン (2015)『動いている庭』みすず書房 p10.

空間を獲得していくこの巨大な力を、両手におさまる形あるものとして表すことはできないだろうか?

つまるところ、考えているのはこんな問いだ。

 

 

References   [ + ]

1. ジル・クレマン (2015)『動いている庭』みすず書房 p6.
2. 災害や寿命など、何らかの理由により高木層が欠落した空間。生物の生育環境を大きく変え、次世代の個体が移入し利用できる生息場所を生み出す。
3. 裸地への苔植物や草本植物などの侵入や定着、草地から低木林への移行、あるいは低木林から高木種が優占する森林への移行など、ある一定の場所で見られる植生の移り変わり。
4. 森林が、部分的に壊れては遷移することを繰り返し、全体としては極相の状態を維持すること
5. 前の世代がつくる生殖細胞から出発して次の世代の生殖細胞までを結んだ生活史のサイクル。
6. 生態学においては、その生物を取り巻く外界の諸事情(栄養源の獲得、生理的活性、住み場所の確保、生殖の成功、外敵からの防御など)をひとまとめにしたもの。
7. ジル・クレマン (2015)『動いている庭』みすず書房 p10.